雪の鉄樹 感想 ※ネタバレ

『雪の鉄樹』   遠田潤子



本を読んでも感想を言う相手が居ないのでここに。


※これ以降ネタバレを含みます



本の虫のような母に「なんで今まで知らなかったのか不思議なくらい凄い作家」と言われ手渡された。

「へえ」と言いつつわたしも遠田潤子という名前は聞いたことがなかったので、とりあえずかけられていた書店の黄土色のカバーを外して表紙を見た。見たことは無かった。真っ青なそれに不釣り合いな、真赤な帯がついていて、何かの一位だったのでまた「へえ」と思った。ずん、と重い。

「文庫で分厚い本って読むのダルいんだよなあ」とは思いつつ、暇なので読むことに。


一ページで文章が重たいと思った。

読んでいるうちに本の重みが増すような気さえして、最初はちっとも進まなかった。面白い、面白いけれど重たい。

導入の描写から老人かと思った主人公は存外に若く、彼を取り巻く環境は余りにも酷で辛い。裏表紙のあらすじに書かれた「たらしの家」のことはしばらく出て来ず、しばらくは彼の身体のこと、仕事のこと、そして面倒をみている少年のことにフォーカスが当てられている。けれどそこから得られることはなく、主人公がただ「何かを背負って苦労をしている」ことだけ。

それが延々と、重たい文体で書き連ねられており、気が重くなる。


物語が動くのはやっと半分のころから。

ここへ来るともうページをめくる手が止められなくなっていた。重たいのはそのままだ、読み進めるほどに胸の奥にずんと黒いものを溜められていくような感覚。謎はまだ明かされない。

どうして主人公が痛々しいほどに『償い』に徹しているのか。彼が忌み嫌い、周囲も嫌悪感を隠さない『たらしの家』の何たるか。『扇の家』とは。そして主人公の父親のこと、郁也という名前だけ唐突に出てきた者のこと。分からないことだらけだ。

苦しい文字の並ぶページをめくり続けるとやがて、少年との対峙、そして主人公の独白が始まる。



結論として、郁也と舞子は双子で、主人公の父親は双子の母親を手にかけ自分も死に、母の死やその他の様々に絶望した郁也は腹いせとして主人公に火をつけ、それを知った舞子は郁也を殺そうとするも踏みとどまりその際誤って少年の両親を殺してしまった、ということだった。

簡潔にかけばこれだけのこと。けれど、そのなかには色々な想いが錯綜している。


たらしの家は祖父からはじまった。その祖父の描写があまりにも素晴らしく、素晴らしすぎたせいで苦しくなった。端々で祖父が放つ言葉も、吐き出した紫煙もあまりにもひんやりと冷たかった。「狂ってる」という少年の言葉は全てを物語っていた。

物語の中盤まで真人間のように思えた主人公が、食器を灰皿がわりにすることが何故いけないのか分からない、というシーンにぞっとした。彼の孤独さ取り巻く環境の異常さを際立たせている。けれど同時に、舞子という女性をとても魅力的にした、とも思う。

主人公の父親も祖父と同様にたらしで、どうしようもない。どう考えても親子だ。けれど父親に対する祖父の態度はあまりにも冷酷だった。庭師としての才能がない父親に対し祖父は情がない。誰に対しても情などない人だけれど。


そしてその父親が惹かれていったのは、舞子の母であり『扇の家』に越してきた女だった。登場してすぐページから魅力が溢れ出していた。文章を読んだだけでその滑らかさや母性に思いを巡らせることができるほど。愛情に飢えていた主人公の父親にとってこの上ない女性。

けれど蓋を開けてみれば父親はただその女の手のひらの上転がされていただけで、その女もまた最低だった。郁也にだけ目をかけ、舞子のことは無視をした。郁也にバイオリンを習わせ、防音室を与え、金をかけた一方で、舞子に家事を押し付け介護も押し付けまるで家政婦のように扱った。

父親は狂っていった。女を殺した。そして彼も死んだ。


女が死んだあとは郁也が狂った。

いや、もともと狂っていたのだろう。それがようやく表に現れた。自分の家が狂ったのは自分のバイオリンが原因だと、そしてその元凶であるバイオリンを自分はもうとっくに弾けないのだと、才能がないのだと語り、主人公に当たり散らす。

彼らのやりとりは圧巻だった。指先が凍えるような感覚。


郁也に火をつけられた主人公の記憶はここまでで、彼がICUに入っている間に事態は進んでいった。

だから主人公は少年の両親と舞子のことを、舞子の供述でしか知らない。

けれど彼は償い続けたのだ。13年間。


全てを知った少年と、全てを語った主人公のやりとりがまた素晴らしかった。

彼らに確執が生まれたにせよ、同じだけの時を共有していたからこそ互いが互いに与えたものは大きかった。


そして二十歳のまま時が止まってしまった舞子の時計はようやく動き出し、凝り固まっていた主人公と少年の関係も生活も感情も解きほぐされた。

これからの彼らの様子に、13年ぶりの2人の会話に思いを馳せながら本を閉じて大きく深呼吸をした。



読み終わった時の感覚がとてもいい作品、本当は前情報なんて何もないまま読むべき作品だけれど、あまりにも好きだったのでこんなところでネタバレを吐き出すという。

読書メーターで高評価な意味が分かった。最高。


アパートに帰ってきた主人公に少年が「美人だから分かったよ」なんて言わなかったのが作者の良いところだと思った。わたしだったら絶対にそう書いていた。

心底上手いなあ。



いい作品が読めてよかったです、おやすみなさい。